折れない心

ベルマーレの試合終了後、とある知り合いに良い話しが載っていると教えられ、自宅に戻りとあるMIXIのページへ。
ロッテマーリンズのファンの方のサイト。
野球の話しなんだけど、『折れない心』について書かれたその文章に感動。
素晴らしい。


実は、以前僕もHT新聞で『折れない心』という言葉を使ったことがある。
何で使ったかは不明。
でも、その事を思い出した。


そもそも折れない心ってなんだ?
これは理解の仕方がいくつかある。


折られるって言葉から、一本の棒を思い浮かべると理解しやすいかもしれない。
たやすく折られてしまうほどのか弱い棒では心許ない。
では、折られにくくするにはどうするか?
か細い棒自身を太くすればいい。


簡単にいえば棒をもの凄く太いものに代えればいい。
これは、簡単にいえば人を替えることだね。
強い上手い選手を沢山揃えること。


細い棒を強くするにはどうするか?
回りを何かで囲って補強してやればいい。
テープでグルグル巻きにしてもいい。
板を立てて枠を囲ってやってもいい。
そして、そこにコンクリートを流し込めば更に強固なものとなる。
(けど、これじゃコンクリートの塊だな)
それは、筋肉とか体力とか技術とか・・・・そういうもので補えるものなのかも。


後は、棒みたいなものではなく柳の木のようにしなやかなものになる方法もある。
これは、無駄な補強(筋肉とか)をしなくても自分自身が変わろうとすればできること。
経験とか自信とかポジティブな考え方を身につけていく。
そういうものかな?


一口に折れない心といっても幅広いのである。


実際には折れていても、折れていないように見せかけるのもこれまた心理なり。
奥が深いのだ。


丁度、今日試合後に良いコメントをしてくれてた選手がいる。
たしかこんな趣旨の内容だった。


『今日はたまたま相手が自らやりたいことをできずに自滅していってくれた。でも、自分たちが良いプレーをした上で、更に相手に良い面を出させないように追い込むサッカーをするということができるようになると、もっともっとレベルの高い階段を上れると思う。状況に応じてそれができるのが一番だからね』


と、そんな内容だったと記憶する。


そう話す彼は、現役生活14年目を迎える大ベテランだ。
真の折れない心を掴み取るまでに、彼はいったい何度の挫折や苦悩を乗り越えてきたのだろうか?
人知れず泣いた日もあるだろう。
人知れず努力した日もあるだろう。
必ずできると信じてきた日々。
それが『折れない心』に繋がっている。
彼のサッカーに対する姿勢を見ていると、そう思えてならない。


『折れない心』得ることは実はそんな簡単なことじゃないと思う。
それこそ、長い年月をかけて太い心になったり柔軟な心になったりと人それぞれに『折れにくい心』へと変化、成長してくるのだろう。


人間はだれも完全じゃない。
だから、失敗もするし後悔もする。
でも、そこから立ち直る方法がいくつもある。
最後にもう一度歩き出したほうが勝ちなんだ。


いくつもの挫折を味わった者だからこそ判る折れないためのコツ。


そんなことを思いつつ、関西からの後輩のメールを読む。


元気にやっているみたいだ。
安心した。
選抜の候補にも選ばれているみたいだ。
昨年一度落とされているからな。
でも、今年は意気込みが違うな。
前向きな姿勢がメールからでも感じられる。
成長したんだな・・・


あいつは『折れない心』を持っているのだろうか?
俺は、持つための資質があると思うし既に折れにくい心を持ち始めたと思っている。


『折れない心』


奥深い言葉だ。