ジャンルカ富樫氏のこと

ひとつ目。
ジャンルカ富樫氏がエジプトで亡くなられた。

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これは昨夜、用賀の事務所で校正作業中にネットで記事を発見した。
正直驚いた。
というのも、実は俺が今の仕事を目指すきっかけとなったのが、ジャンルカ富樫さんが当時ワールドサッカーダイジェストで書かれていたコラムだったから。
『SJになれ!』
みたいなタイトルだったと記憶している。
SJ?なんじゃそりゃって思って読んだ。
SJ=サッカージャーナリスト
90年代中頃。当時はまだサッカーライターとか、スポーツジャーナリストなんて肩書きは世間では認知されていなかった。
で、富樫さんがこれからサッカーを書いて飯を食っていきたいと思うなら、SJを名乗れ!って書いていた。


それから数年。平塚競技場の監督会見室で富樫さんに初めて会った。
背中にTOYOTA CUP と印刷されたベンチコートを着た後ろ姿。
本物だ。ドキドキしながら駆け寄りご挨拶をした。
名刺を差し出し、昔読んだSJのコラムの話をした。
富樫さんは少し照れ笑いしながら「そうですか。嬉しいな。良いSJになってね」と僕に握手を求めてくれた。
嬉しかった。


僕がなぜ富樫さんに惹かれたのか・・・・それは富樫さんの経歴にあるのかもしれない。
元々はアパレル関係だとか広告代理店だっったりとか、普通のサラリーマン経験を何年か経てサッカージャーナリストへ転身。
大学を出て、普通のサラリーマンになったしまった僕はいつしか富樫さんの経歴を真似てSJになろう。と決意した。
というよりも、新聞記者とかサッカー専門誌出身じゃなくてもSJになれるんだ。と、自信を貰えたように思えた。


で、今。
曲がりなりにもサッカーを飯の種にさせて貰っている。
(厳密にはサッカーだけじゃ食えないけどね)
だから、富樫さんの訃報を知ったとき愕然とした。
そして、いま改めて思う。やっぱサッカージャーナリストを続けていこうと。


僕にはサッカーの世界を教えてくれた先生が沢山いる。
ジャンルカ・トト富樫さんは、その一人だったことに間違いはない。
もうそれほど若くはないけれど、まだまだやれることが沢山ある。
逃げることなく、諦めることなくチャレンジしていこう。
そして沢山の人とサッカーの楽しさを伝えていこう。
そして語っていこう。


偉そうなことは言えないが、富樫さんあなたのお陰で僕はこうしてサッカーを書く(語る)という素晴らしい仕事に出会えました。
ありがとうございます。
そして、いつか天国でサッカーの話をしましょう。