これを書いている時点では日時が・・・

t-2take2004-12-31

何て事は気にしないで、とりあえず2004年を振り返ってみる。


思えば、色々なことがあった。
そうだな、自分の生きてきた中でもかなり印象に残る年だったのかもしれない。
ライター業としてきちんとした形に表すことができたのも2004年だったしね。
そう言った意味では、これが一番大きかった。
もし、この先もサッカージャーナリストを生業としていたとすれば、きっと2004年を振り返らざるをえないだろう。
また、もしこの仕事を辞めていたとしてもそれはそれで良い思い出として残るだろう。


手前ミソではあるが、世の中に出版された媒体に自分の名前がクレジットされた時の喜びはそりゃ大変なものだった。
本屋に並んでいる実物を見ては、手にとって確かめたくらいだ。
その後、ピンクの新聞に載るようになっても気持ちはやはり同じ。
何時になってもこの気持ちは忘れてはいけないかもな。


しかし、それと同時にこの世界の厳しさも身をもって感じた年でもあった。
あこがれの職業なんてものは、あこがれのままの方が美しいのかもしれない。
もしくは、あこがれのまま夢のままでいたほうが幸せだったのかもしれないと思う時期が何度もあった。
いや、今でもそう思っているのかもしれない。


人からどう見られているかは知らないが、決して羨ましがるような職業ではない。
もちろん、自分自身のセンスや努力が足りないのはもっともだが、そんな簡単なものではない。
頑張ればなんとかなるもんじゃないし、努力の分だけ報われる職業でも無いらしいことはよ〜く判ったつもりだ。
だから、あとはどれだけこの世界で生きる覚悟があり、尚かつこの仕事が好きかどうかがキーポイントになるのではないかと思う。


それでも、なりたくても簡単になれる職業では無いことも理解している。
世の中には、様々な動機でサッカーでライターとして食いたいと思っている若者は沢山居ると思う。
でも、本当になりたくてなれるヤツ、運良く巡り会えるヤツも少ない。
そう考えると、様々な運とか出会いが重なって今の俺がいる訳で、そのありがたみは感じなければならない。
だから、簡単にこの権利を捨てるつもりはない。


そう思わせたのは、今俺に色々とアドバイスをくれる友人や知人の力もあるのだが、それ以上にこれまでに取材で出会った様々な人々のせいなのかもしれない。


Jリーガーや監督、広報、カメラマンの方々、それから高校の監督、やひたむきにボールを蹴る高校生、そして、1人のサッカー少年である後輩。
そして、彼らが発する言葉や態度に一喜一憂し、共に涙し感動している自分が居た。


人間、30歳も過ぎると今更新しい友達や知人なんてもんはそうは増えない。
しかし、俺がサッカーに係わってからというもの仕事関係以外で広まった友好関係や知人は数知れず。
まして、その年齢の幅と言えば下は14歳から上は70歳くらいまでと広い。
牛木先生、ビバの仲間、ライター仲間、県協会の皆さん、選手、監督を含めると本当に幅が広すぎて困るくらいだ。


サッカーは素晴らしい。
30を越えた俺が新しい事を勉強している。
社会とか、人生とか、人間関係とか、夢とか、現実とか、挨拶とか・・・・本当にキリがない。


今年一年俺を支えてくれたサッカーに感謝の言葉を添えたい。


サッカーよありがとう。
そして、来年もよろしく。


来年は、今年以上にアグレッシブに取材に向かい、新たな視点でサッカーを見つめたいと思う。
現場現場に出向いてこそ見付かる何かがあるはずで、その見つけた何かを表現できる方法を捜したい。


今年涙を飲んだ沢山の事には、来年のリベンジを近い2004年を締めたいと思う。


躓いたときは、晴れ晴れとした空を見上げ、1人で悩んでいた時にみたポルトガルの青い空を思い出そう。
あのときの想いや決意、感動を忘れないために。


沈む太陽があれば、どこかに昇る太陽もある。
希望の光はリレーされていく。
何時かは自分に、そのバトンが回ってくるのだから・・・