日曜日なのに

仕事柄、別に休日とか平日とかはあまり関係ないけど、せっかくの日曜日なのにほとんど外出せず。夜明けまで原稿を書き、日が昇ると眠り、夕方にむっくりと起きてまた原稿書き。
そんな日曜日の夜に携帯が鳴る。友人からの晩飯の誘い。「仕事が・・・」と断ろうとしたが、思った以上にトーンの重い口調だったので断れなかった。
案の定、持病の鬱病の症状が良くなくて沈んでいる状態だった。しかし、何となく前向きな話しができたから良しとする。
まあ、こっちも夕飯をどうしようか考えていたときだし丁度良かった。
俺も落ち込めば誰かに話しを聞いて貰いたいし、誰かと話すことで気が軽くなるもんな。お互い様だ。それが友達じゃん。


しかし、ものが豊富な現代だからこそ、いろいろな病気や悩みが増えるようだ。いわゆる現代病なんだろうね。そんな事を考えていたら、先日の朝日新聞(金曜日の朝刊)の『三者三論』というコラムを思い出した。
村上春樹」の25年を、加藤典洋(文芸評論家)と、森達也映画作家)、香山リカ精神科医)が分析する。
1987年に発売されベストセラーになった『ノルウェイの森』については、小説の舞台となったサナトリウムのような診療所が出てきた。これは主人公の1人が心の病を抱えており、その診療所として清楚な山奥の建物が描写されている。この事について、精神科医の香山氏が『今振り返ってみるとアメリカでは丁度その前後から多重人格や「境界生性人格障害」など、それまでとは違うタイプの心の病が社会問題として大きくクローズアップされていた』など、その時期から家庭内暴力や引きこもりといった社会問題が増えていることをあげていた事を語っている。
また、村上作品に登場する『羊』についても、絶対的な悪からヒューマニスティックな悪として変化して描かれていた事なども、自分を絶対的な善とする日本の社会を強烈にひにくっていることなども書かれていた。
最後に一番興味深かったのは、近年の日本の若者の状況に触れていたこと。昔の村上作品は井戸が多く出てきてこれは閉鎖的だった日本を比喩していた。しかし、近年ではインターネットの普及により情報化が進み個人の情報が閉鎖的な状況から変化した。現代は、井戸の壁が無くなり、世界を一望できる吹きさらしの荒野に立たされているような状況になったと書かれている。
現代の日本の若者はどこの国に行っても何でもできそうなイメージがあるが、実際は先日イラクで殺されてしまった香田さんのように、知識不足で経験不足はいなめない。しかも、精神的にはデリケートで感性の鋭い人ほど吹きさらしの荒野ではかかるストレスも多くなるのだそうだ。


戦後、貧困にあえぎ物資が不足していた時代には確かなコミュニティがあった。助け合うことで皆が密かに生きてきた。そうして高度成長時代になると、時間を忘れて働き今の日本を支えてきた。そうして必死に生きていた頃には、現代に見られる心の病は少なかったはずだ。貧困に耐えきれずに自殺した人は居ても、食うに困らない若者が自分の人生を悲観して自殺するようなケースは少なかったのだろう。
溢れる情報、溢れる物資。プライバシーは無くなり、自分の身を守る術を知らない人間は、心ない暴力に傷つき、無能な日本の社会に嘆き、己の無力を呪い死んでいく。
村上春樹の作品でも「生と死」は大きなテーマであり、毎度考えさせられる。ホントにこの人の感性には驚かされますよ。



ちゅう事で、今日の画像は村上作品で一番始めに読んだ『風の歌を聴け』です。